実はサクランボは桜の木の仲間。そして山形県がサクランボの名産地になった理由:3ページ目
サクランボが山形県にやってきたのは明治8年(1875)のこと。東京から、洋なし・りんご・ぶどうなどの苗木にまじって、3本の苗木が入ってきました。明治9年(1876)には、初代の山形県令三島通庸(みしまみちつね)が、北海道からりんご・ぶどう・さくらんぼの苗木をとり寄せ、これを栽培しました。さらに明治11年(1878)、寒河江市では果物の外来種試験場をつくりサクランボも育てています。
これら先人の粘り強い努力と試行錯誤の結果、山形県でも恒常的にサクランボを生産することができるようになりました。
このような「地の利」と「人の利」があったからこそ、山形県は日本一のサクランボの生産量を誇ることができるようになったのでしょう。
私達が食べる甘く小さなサクランボには、このような明治初期の日本人の努力が秘められているのです。
参考