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江戸時代は妻側から離婚できなかった…ならば寺に駆け込むしかない!「駆け込み寺」の仕組み

江戸時代は妻側から離婚できなかった…ならば寺に駆け込むしかない!「駆け込み寺」の仕組み

江戸時代の駆け込み寺は有名だった

駆け込み寺に駆け込むことは最終的な方法だったと、「日本家族法の父」とも呼ばれた法学者の穂積重遠(ほづみ しげとお)が著書「離縁状と縁切寺」で語っています。よほどの覚悟を持って妻は駆け込みをしていたのでしょう。

そんな妻たちの苦悩を描いた映画が、2015年に「駆込み女と駆出し男」というタイトルで公開されています。

セリフが長く難解な表現がありますが、さまざまなケースに悩む妻たちが登場するので、観賞後は駆け込み寺についての見聞が広がります。

このように現代でも駆け込み寺を題材にした作品があるのは、昔から駆け込み寺に関する話題が豊富だったからでしょう。その証拠に、江戸時代に詠まれた川柳が多く残っています。

「十三里濁行をして縁を切り」
「たしかに此道嫁のあと十三里」

十三里とは、江戸から鎌倉までの距離です。他にも、寺で過ごす期間の「三年」という言葉が使われている川柳も複数あります。

「仲人を三とせ恨みるつらいこと」
「三年は在鎌倉と覺悟する」

東慶寺の記録によると、明治2年および3年の書類が残っています。明治まで駆け込みが行われていたということは、女性の意志が抑えつけられていた時代がそれだけ長かったと言えます。

駆け込みをしていた時代の女性たちが今の自由に離婚できる世の中を知ったら、どんな想いを抱くのでしょうね。

参考文献:穂積重遠「離縁状と縁切寺」(1942年)

 

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