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ねね?おね?どっち?豊臣秀吉の正妻・高台院の本名に関する様々な説を紹介

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その他の名前

ちなみに、高台院の本名については他にも記載があり、彼女の甥に当たる木下利房が治めた備中国足守藩所蔵の『木下家譜』には「寧」「子為」などと記してあり、「ねい」説も浮上しているようです。

また、天正十六1588年に朝廷より従一位に叙せられた折は「豊臣吉子(とよとみ よしこ)」と記録されていますが、これはお察しの通り夫である秀吉の名前より一字とって、女性であるため「子」をつけて称したものと考えられます。

他にも、時代劇などでもお馴染みの「北政所(きたのまんどころ)」や、法名(高台院のフルネーム)である「高台院湖月心公(こうだいいんこげつしんこう)」などの名前が今に伝えられています。

まとめ

結局のところ、高台院の本名が「ねね」なのか「おね」なのか、その結論は出ていないものの、「ね」の字を中心に秀吉をはじめ周囲の人々が気さくに呼びかけている内にごっちゃになっていったようで、もしかしたら当人も「(悪意がなければ)どっちでもいい」と思っていたのかも知れません。

秀吉の女癖にはほとほと困らされたでしょうが、何だかんだと愛されて、天下統一の大黒柱となった彼女の本名が実際なんと言ったのか、今後の研究・解明が期待されます。

※参考文献:
山陽新聞社編『ねねと木下家文書』山陽新聞社、1982年
田端泰子『北政所おね -大坂の事は、ことの葉もなし-』ミネルヴァ書房、2007年

 

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