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未開の地も多かった北海道を開拓!江戸時代に日本とロシアの架け橋となった高田屋嘉兵衛その2

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幕府の択捉島開拓計画に参加

寛政11年(1799)、東蝦夷地を直轄化した幕府は、当時未開だった択捉島の開拓計画に乗り出そうとしますが、択捉島への航路は荒波と濃霧の危険な海峡を越えなければならず、幾つもの船が遭難した難所でした。

そこで幕府の役人が目をつけたのが、航海技術の確かさで有名な嘉兵衛でした。嘉兵衛は命の危険よりも夢とロマンの溢れる「未知の世界の開拓」に心を動かし、本業の高田屋の事は弟に任せて参加を決意します。

択捉島に渡海成功!

潮流をよむのが得意な嘉兵衛は、危険な最短距離ではなく安全な遠回りの航路を開拓し、無事に渡海に成功します。そしてその航路で択捉島に物資輸送が可能になりました。

当初択捉島にいたアイヌの人々は非常に貧しい生活を送っていましたが、嘉兵衛が彼らに漁を教え、17の漁場を開いた事で、徐々に豊かな島に変わってゆきました。

この成功が認められた嘉兵衛は、享和元年(1801)、正式に幕府から蝦夷地定雇船頭(幕府の船を造船、運用管理する役人)に任じられ、三人扶持、手当27両を与えられたほか、苗字帯刀を許されます。

その3はこちら

参考文献:生田美智子「只天下のためを存おり候 高田屋嘉兵衛 」ミネルヴァ書房

 
 

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