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箱根駅伝は閑散期の観光を盛り上げる為の大会でもあった?「いだてん」第19話振り返り:2ページ目
第一回大会は四校が出場するも、課題は多かった
箱根駅伝は学生が出場する大会です。集まったのは四三の出身校である東京高師(現・筑波大学)、明治大学、早稲田大学、慶応義塾大学の四校でした。そのため、このときの正式大会名は「四大校対抗駅伝競走」です。現在の「東京箱根間往復大学駅伝競走」に固定されるのは昭和も中期になってからでした。
さて、東京から箱根までの道のりを往復するので、当然一日では終われません。現在も2日間に渡って往路・復路に分けて開催されますが、これは第一回からそうでした。
日本初の東海道五十三次を走った大会は昼夜を徹して行なわれるというとんでもないスケジュールでしたが、箱根駅伝はそれよりも距離が短く、きっちり2日に分けるので余裕をもって日中明るい間に走れる。そう思いますよね。
でも実際は、夜間にも走らなければならないという不便な大会でした。
ドラマでも描かれていましたが、「学生の本分は学業!」午前中は授業があるし、お昼はご飯を食べるもの。そういうわけで午後からスタートすることになり、最後の5区にもなるとあたりは真っ暗……。道に迷う選手も出て、地元青年団が松明をもって伴走することで、どうにかゴールしたのだそう。
開催日程に関しても、現在は正月の2日・3日に行われるのが通例ですが、当初は日程が固定されてはいなかったようです。第一回大会が開かれたのは1920年2月14日と15日でした。
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