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奇こそ我らの誉なり!江戸時代の寛政期に活躍した「寛政の三奇人」を紹介

奇こそ我らの誉なり!寛政期に活躍した寛政の三奇人を紹介:2ページ目

吉田松陰に影響を与えた尊王家、高山彦九郎

2人目は尊王思想家の高山彦九郎です。

彦九郎は延享4年(1747)に産まれました。

次男だったので自由気ままに過ごしていた13歳の時に『太平記』を読んだことがきっかけで勤王思想に目覚め、18歳の時に家を飛び出します。

全国を練り歩いて勤王論を説いて周りました。その途中で林子平や上杉鷹山などと交友関係を持ち、名を知らしめていました。

京都では光格天皇に会う機会を得られ、彦九郎はこの感動を歌に残します。

そして、天皇家と幕府間で起こった尊号一件(光格天皇の父・閑院宮典仁親王に上皇の位を授けようとしたが幕府が反対した事件)に首を突っ込んでしまい、公家の中山愛親(なかやまなるちか)と仲が良かった彦九郎も幕府に目をつけられてしまいます。

寛政3年(1791)に九州にいた彦九郎は捕らえられしまい、寛政5年(1793)に46歳で自刃します。

彦九郎の尊王論は吉田松陰をはじめ多くの幕末志士たちに影響を与えました。

3ページ目 前方後円墳の生みの親、蒲生君平

 

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