いつか彼女が振り向く日まで。江ノ島・鎌倉に伝わる弁天様と五頭龍の恋物語:2ページ目
深沢の五頭龍と、江ノ島の弁天様
今は昔、鎌倉の中央部には周囲四十余里とも言われる大きな湖が広がっていたため深沢(ふかさわ)と呼ばれ、そこには龍王(五頭龍)が棲んでいたそうです。
龍王は身体が一つなのに頭は五つ、ごつい鼻にヒゲもじゃの顎、目玉をギョロギョロさせて、いつも暗雲を身にまとう恐ろしい姿。身をよじるたびに毒を周囲にまき散らしたそうです。
そして見かけ通りの暴れん坊で、景行天皇の御代(在位:西暦71~130年?)にはことさら大暴れするなど、人々はいつも困っていました。
あまりに身体が大きいので湖に収まりきらず、龍王が寝そべるとその口が海岸まで届く始末。
そこでその場所は龍口(たつのくち)と呼ばれ、そこを通る者は子供を生贄に奉げなければ越えられなかったため、子死越(こしごえ。現:腰越)とも呼ばれました。
※また一説に「子供を奉げないと年が越せなかったため」とも言われるそうです。
そんな中、欽明天皇の御代である貴楽元551年4月12日の戌刻(いぬのこく。午後7~9時ごろ)から23日の辰刻(たつのこく。午前7~9時ごろ)にかけて大地震が発生。
天地が鳴動する中、龍口の沖合から海底が隆起して島が出来上がり、これが現代の江ノ島と言われています。
そこへ降り立ったのは一人の天女。彼女こそ江島神社の御祭神である弁天様で、江ノ島に御所にもうけてお住まいになったのが江島神社の起源と言われています。
その美貌はさぞや多くの崇敬を集めたものと思われますが、彼女に心奪われたのは、龍王も同じでした。