東や南じゃダメなの?上皇の身辺警護を務めた「北面武士」が北向きに奉公した理由:2ページ目
「西に向いて奉公する」西面武士
後に承久の乱を惹き起こした後鳥羽上皇(ごとば じょうこう)は、鎌倉幕府との決戦に備えてか、従来の北面武士に加えて西面武士(さいめんのぶし)を新設。頼朝公の死後、文弱に流れがちな鎌倉幕府を尻目に、若い子弟を集めて尚武に邁進したそうです。
ところで、北面の次に西面と定めたのは単なる偶然や気まぐれではなく、この順番でなくてはなりませんでした。
面とは顔を表わす「おもて」とも読み、直面する、などのように「向かう・向ける」という意味もあります。
武士たちが北や西に「顔を向けて」何をするかと言えば奉公に他ならず、その先には主君の存在があります。
もちろん警護の現場では主君に背を向けていることが多いのですが、あくまで観念的な話です。