仇討ちに決起した女武者「坂額御前」の武勇伝!鎌倉時代の建仁の乱で活躍(上):3ページ目
いざ挙兵!越後で兄の吉報を待つ
「かくなる上は、梶原殿が仇を討つべし!」
それから長茂は一年間、隠忍自重して兵力を蓄え、いよいよ復讐の時がやって来ました。
「兄上!わたくしもお連れ下さりませ!」
勇ましく名乗り出た坂額御前のいでたちと言えば、長く美しい髪を童形(※3)に結い上げて腹巻(※4)を身に着けた武者姿。この戦で大活躍することから、普段より武芸の腕前が知られていたのでしょう(また一説には、身長六尺二寸≒約188cmとも言われています)。
(※3)どうぎょう。子供のヘアスタイル。ここではアップと推定
(※4)はらまき。鎧の一種で、文字通り腹部に巻いて防護する
しかし、長茂は言いました。
「いや、そなたは越後で小太郎殿をお守りし、我が身に万一の事あらば、小太郎殿を棟梁として御家を盛り立てよ」
「はあ、承知仕(つかまつ)った。兄上(叔父上)のご武運をお祈り申す」
かくして正治三1201年1月、坂額御前らに見送られ、城長茂らは京の都を目指して進発したのですが、これが後世に伝わる「建仁の乱」の幕明けとなりました。
さて、彼らの首尾はいかが相成りましょうか……この続きは、次回にお話しします。
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仇討ちに決起した女武者「坂額御前」の武勇伝!鎌倉時代の建仁の乱で活躍(中)
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