仇討ちに決起した女武者「坂額御前」の武勇伝!鎌倉時代の建仁の乱で活躍(上):2ページ目
坂額御前と越後の名門・城一族
ここで今回の主人公(ヒロイン)である坂額御前の登場ですが、彼女は越後の豪族である城(じょう)一族の娘で、当主である兄・城平四郎長茂(じょう へいしろうながもち)と、その甥である小太郎資盛(こたろうすけもり。亡き長兄・資永の嫡男)に仕えていました。
長茂ら城一族は、かつて「源平合戦(治承・寿永の乱)」では平家方に属して戦うも、木曽義仲(きその よしなか)に敗れて没落(※1)。やがて囚人(めしうど)となりましたが、頼朝公に助命を願い、後の奥州征伐で活躍のチャンスを与え(※2)、御家人として取り立てさせたのが、他ならぬ梶原景時でした。
(※1)治承五1181年6月13日、横田河原の戦い(現:長野県長野市)。日付は九条兼実の日記『玉葉』より
(※2)文治五1189年7月19日、奥州藤原氏を征伐する道中、頼朝公は景時の助言によって長茂の参陣を許可。囚人ながらその人望によって二百の兵を集めて武勲を立てました。
城一族にとって「足を向けて眠れない」ほどの恩人であり、また最大の庇護者でもあった景時が討たれたことで、長茂はその前途を悲観した事でしょう。