隊員たちからは不評だった?新撰組の羽織の模様は実は「忠臣蔵」の浪士たちのオマージュ:2ページ目
2ページ目: 1 2
このように芹沢の肝いりで作られたこの羽織でしたが、結成当時は資金があまりなかったせいか、あまり上等な素材を使って作られたものではなかったそうです。
また、京における彼らの中心的な仕事は、「市中見回り」でした。当然彼らを憎む連中も現れてくるはずです。そのような剣呑な雰囲気の中で、浅葱色に段だら模様ではかえって目立ちすぎるため、隊員たちの間でも不評でした。まあ、今風にいうところの「ダサい!」という感じでしょうか。
結局、素晴らしいコンセプトが織り込まれたこの羽織も、尊皇派の志士を襲撃して彼らが名前を挙げた池田屋事件を最後に着られる姿がほとんどみられなくなります。そして、新撰組結成から一年足らずで廃止されてしまったそうです。
それ以降の新撰組の服装といえば、羽織も袴も全身黒ずくめの衣装だったといいます。
実際に着用されていた時期があまりにも短すぎたせいか、この段だら模様の羽織の実物は現在一着も発見されていないそうですが、近い将来どこかの蔵からひょっこりでてくるかもしれないですね。
それにしてもこのようなエピソードから、幕末のピリピリした時代にあっても、イケてるデザインに追求した彼らなりの美意識を感じ取れるような気がしてしまうのは、筆者だけでしょうか。
参考:土方歳三のすべてが知りたい!、ひすとりびあ
ページ: 1 2