明治時代の教育で浸透?「正座」は茶道における伝統的な姿勢ではなかった:2ページ目
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そして、それをさらに助長したのが明治時代の教育。明治期になって国民が近代教育を受けられるようになると、「体育」や「修身」の時間に正座を模範的な座り方と教育するようになり、正座という座り方が広く国民に浸透するようになったのは前にお話しした通りです。
また、「正座」という所作が広く国民に浸透するようになった結果、当時の日本家屋も正座に適した造りに変化していったということも考えられます。
「最近の日本人は正座もできない」とは年配者が若者に向かってはくお小言でもありますが、そもそも座り方の所作なんてものは、時代や文化によって大きく異なるものなのです。
最近では、生活様式の変化で正座ができなくなった人も増えてきたこと、足の不自由な人が気軽にお茶席を楽しめるように、「正座をしない茶道」というものも浸透しつつあります。
また、「立礼」といわれる作法もあるようです。これは、点茶盤と称するテーブルに風炉釜(ふろがま)・水指(みずさし)を置き、椅子(いす)に腰掛けて行う作法で、明治初めに裏千家が外国人客をもてなすために考案したとつたえれています。
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