武田信玄の「喧嘩両成敗」に異議アリ!武田四天王の内藤修理が訴えた「男道」の精神:3ページ目
まとめ・暴力よりも恥ずべき振舞い
「どっちが先に手を出したか」
現代でも、そんな基準で是非を判断される方がいますが、武士の価値観にしてみれば「どちらが相手を侮辱し、手を出さしめたか」の方がよほど問題です。
相手をさんざん挑発した挙句、いざ殴られたら「自分は(善良な?)被害者だ」などと根拠のない正当性を主張するような卑怯者こそ、内藤修理をはじめとする心ある武士たちは何より軽蔑していました。
主君のためなら惜しまぬ命も、つまらぬ言いがかりに失うことは耐え難い。
むしろ喧嘩両成敗より前に、不当に相手を侮辱した者をこそ罰するべき……心ある武士たちは、誰もがそう感じた事でしょう。
そんな内藤修理の進言は、勇猛なる武田家臣団の「男道」精神をより一層奮わせ、その後も数々の戦場において数多の武勲を重ねたのは、後世知られる通りです。
確かに暴力は野蛮ですが、相手の尊厳を侵し、罪に陥れようとする振舞いは、それ以上に卑劣で恥ずべきもの。
そうした武士たちの価値観は、平世の私たちにも生き方を顧みさしめる警鐘として、今も良心の片隅に息づいています。