「私、失敗しませんから」と豪語した天才職人に、雄略天皇がしかけたセクハラ大作戦とは?:3ページ目
と言うわけで傍にいた職人が、和歌を献じて雄略天皇に眞根の助命を嘆願します。
【原文】「婀拕羅斯枳 偉儺謎能陀倶彌 柯該志須彌儺皤 旨我那稽麼 拕例柯々該武預 婀拕羅須彌儺皤」
惜(あたら)しき 韋那部(ゐなべ)の匠 掛けし墨縄 師が亡けば 誰が掛けむよ あたら墨縄
【意訳】亡くすにはあまりに惜しい韋那部の匠のかけた墨縄、もしお師匠様が死んでしまったら、誰がかけるのでしょう。惜しまれるほど美しい墨縄を。
眞根は墨縄の名人でもあったようで、彼の高い技術が伝承されずに失われることを憂えた弟子が、決死の覚悟で雄略天皇に諫言したところ、幸運にもそれが受け容れられ、眞根は処刑されずに済んだそうです。
終わりに
その後、韋那部氏は猪名部氏とも呼ばれ、代々大工として高い建築技術を世に伝えました。
日本で最初の本格的な仏教寺院である「飛鳥寺(6世紀末ごろ創建)」をはじめ、現存する世界最古の木造建築である「法隆寺(伝:推古天皇十五607年創建)」など、多くの名刹を手がけられたそうです。
以上、大言壮語が禍(わざわい)してセクハラに惑わされ、すんでのところで処刑されかけた韋那部眞根のエピソードでした。
※出典:『日本書紀』巻第十四 雄略天皇十三年九月条