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死後に神として祀られた明智光秀。織田信長を自害させた謀反人の意外な結末

死後に神として祀られた明智光秀。織田信長を自害させた謀反人の意外な結末

現在、光秀の首が埋められたとされる「首塚」は全部で三か所伝わっています。一つ目は、京都市東山区梅宮町の小路脇にあり、光秀の家臣、または光秀の子孫が埋葬したと伝えられています。

二つ目は、京都府亀岡市の谷性寺の境内にあります。谷性寺は光秀が手厚く庇護していた寺院と伝えられており、やはり光秀の家臣によって埋葬されたと伝えられています。三つ目は、京都府宮津市の盛林寺の境内に築かれた首塚で、光秀の娘・細川ガラシャの元へ運ばれた首が埋葬されたと伝えられています。

もちろん、光秀の首は一つしかないので、少なくとも二つは‟言い伝え”ですが、いずれも光秀に近しい人によって埋葬され、首塚が築かれたということになります。光秀は、かつての領地であった丹波では福知山城を修造し、由良川の堤防を作り、川の氾濫を防ぎました。

領民からは慕われ、現在の福井県、岐阜県、愛媛県のあたりでは死後に神として祀り、神社を建立した地域もあったようです。神として祀られる謀反人。ある種、平将門を彷彿とさせますが、もしかしたら怨霊封じの意味もあったのかもしれません。

 

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