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謝罪をするも…板垣退助 暗殺未遂事件の犯人・相原尚褧の数奇な人生とは?

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相原は板垣に謝罪するため、すぐに上京

相原は板垣に謝罪するため、すぐに上京し、板垣の元に赴きます。板垣も快く相原に面会し、「君の行為は国を思う気持ちからやったことだから、俺は咎めるつもりはない。けれど、実行に移す前に俺をよく観察していなかったのは残念だ。そうすれば、国賊でないことがわかったはず。もし今後、俺が国家に対して害ある人間だと思ったときは、また襲えばいい」と寛容な態度で受け入れました。

船から海に転落

相原は何度も頭を下げ、「今後自分は北海道の開拓に一生を捧げるつもりです」といって辞し、伊勢四日市から汽船に乗って北海道に向かいましたが、遠州灘を通過するあたりで消息を絶ちました。どうやら船から海に転落したようです。

後に板垣が監修した『自由党史』には、「相原は板垣に会い、良心の呵責にたえかねて自殺した」とか、「博徒によって金品を奪われ海に投げ込まれた」とか、「相原の悔悟を知って、襲撃事件の教唆者が秘密を暴露されるのを恐れて口を封じた」といった諸説を列記しています。

相原の不可解な死は、その後解明されることもないまま、ほとんど忘れ去られようとしています。

時代の荒波に翻弄され、時代の荒波によって消えていった哀れな生涯だったといえるかもしれません。

 
 

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