葬儀のときに供える「香典」はもともとはお金ではなかった?昔は何を供えていたの?:2ページ目
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九州や鳥取などでは、米や麦を一俵(約60キロ)丸ごと贈る、「一俵香典」なんていう豪快な風習があり、これは一部では現存しているようです。
東北地方ではかつて香典として赤飯を持ち寄っていました。新潟県の佐渡島では出棺前に「力飯」と呼ばれる赤飯を参列者一人ひとりが一本の箸で食べる習慣がいまでもあります。福井県でも赤飯の握り飯が出されます。
赤飯は祝いの席のイメージが強いですが、葬儀にも用いられていました。赤飯の赤い色は魔除けの色であり、邪気を祓って災いを避ける力があると考えられていたためです。
墓場で墓穴を掘る人は、とりわけ強い忌み穢れを受けるため、必ず赤飯が出されたといいます。かつては日本全国に葬儀に赤飯を出す風習があったのですが、「忌み」や「穢れ」に対する概念が変化していくにつれて廃れていったようです。
また赤飯でなくても、小豆を使った小豆飯や飴入りの団子、饅頭を出す地域もあります。
やがて香典そのものも明治時代から戦後にかけて、米や野菜から金銭に変わっていき、現代のような形になっていったと考えられます。
ちなみに、「香典」と書いて現金を渡すのは仏式の葬式だけ。死者の霊に香や香典を供えない神式やキリスト教式の葬式では、「香典」という言葉は使いません。神式なら「御霊前」「御玉串」、キリスト教なら「御花代」となるので注意が必要です。
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