狩ったのはタヌキ?ムジナ?裁判沙汰にまでなった大正時代の「たぬき・むじな事件」:3ページ目
さて、大審院の判決は?
年もまたいで大正十四1925年6月9日、男はついに「逆転無罪」を勝ち取りました。
結局タヌキはタヌキでしたが、男が「ムジナ」を洞窟に閉じ込めた2月29日時点で「狩った」、つまり元から猟期を守っていた=違反していないものと解釈されたのでした。
ただし、判決文の中には「昔からタヌキとムジナが混同されやすい」ことについても言及されており、もしかしたら、情状酌量の一助となったのかも知れません。
これがごくざっくりとした「たぬき・むじな事件」の顛末であり、現代でも刑法第38条に規定される「事実の錯誤」の好例(テキスト)として伝わっています。
大の大人が国ぐるみでタヌキかムジナか争うさまは、なんだかまるで化かされたようです。
そんな今からたった百年ばかり昔の、ムジナにまつわるお話でした。