屈辱、魚を咥えさせて放り出す!江戸時代、女犯を犯した僧侶への本当にあった刑罰:2ページ目
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ある程度は寺社奉行も目をつぶっていてあげたそうですが、大っぴら過ぎるとそうもいかず、寛政七年には内妙法寺の僧侶六人が内藤新宿で飯盛り女を買ったことがばれて日本橋に晒され、寛政13年には住職七人が遠島になりました。
天下を揺るがす一大事件として有名なのは、延命院の住職・日潤が、大奥や大名家の女中たちと毎日のように淫行していた「延命院事件」。
もともと延命院は第3代将軍・徳川家光によって開かれた寺で、大奥女中や諸大名の女中たちに人気の寺でした。若くして住職となった日潤は、その美しさと説法のうまさでたちまち女中たちのアイドルに。いつしか女中たちに手を出し、床の相手をするようになります。女たちも、参詣と称して堂々と通うようになりました。
そんな横行に寺社奉行が気がつかないわけはありません。しかし大奥の女中の中には側室候補もいるため手出しできず、また、将軍家ゆかりの寺として、証拠もなくおおっぴらに踏み込むわけにもいきません。
しかし脇坂安董(わきさかやすただ)という人物が寺社奉行になると、彼は機転を利かして家臣の娘を潜入させ、ようやっと証拠を突き止めました。日潤は死罪、大名家の女中たちはすべて解雇、大奥の女中たちはお咎めなしとなりました。
禁欲どころか旺盛な性欲で身を滅ぼした僧侶たち。なにごともほどほどに、ですね。
画像出典:『徳川幕府刑事図譜』より
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