摂関政治と院政期に現れた「幼すぎる天皇たち」まとめ:2ページ目
第2位・安徳天皇(第81代)
「壇ノ浦の戦い」で平家一門とともに海に沈んだ安徳天皇は、治承2(1178)年11月12日(新暦の12月22日)に高倉天皇の第1皇子として誕生しました。
母親が平清盛の娘・徳子(後の建礼門院)だったこともあり、生後まもなく皇太子に立てられ、治承4(1180)年に数え年の3歳、満1歳4ヶ月で天皇に即位します。
寿永2(1183)年に平家一門に連れられて安徳天皇が都落ちすると、都では彼の異母弟の後鳥羽天皇が即位し、歴史上例のない「同時に2人の天皇が並立する」という珍事に。この状態は、安徳天皇が祖母の二位尼(平時子)に抱かれて壇之浦に沈む寿永4(1185)年4月まで続きました。
安徳天皇の崩御された年齢は数えで8歳、満6歳。幼くして政治権力に振り回された、歴代最も短命の天皇でした。