日本初の猫バカ日記!?臣下を経て即位した宇多天皇を支えたのは、1匹の猫だった:3ページ目
宇多天皇即位!
源定省の運命が大きく変わったのは、臣籍降下から3年後の仁和3(887)年8月のことでした。父・光孝天皇が病気で危険な状態となりましたが、この時点で天皇の後継者が決まっていなかったのです。
実は関白・藤原基経は、自身の妹で清和天皇の女御であった高子ととても険悪な仲だったため、その息子である貞保親王を天皇に推すことは避けたいと考えていました。
そこで基経は「群臣の推挙を光孝天皇が受け入れる」という形式で天皇の子である源定省を皇籍に復帰させ、翌日には皇太子に定めました。
そして光孝天皇がその日のうちに崩御されたため、定省親王は宇多天皇として即位することとなったのでした。
日本初の「愛猫日記」に登場した猫は、日本初にして最高の「招き猫」でもあったのです。
【参考文献】招き猫の宮 著者:菊地真・荒川千尋