マトリョーシカ、スリッパも…実は日本発祥だった意外なものたち:3ページ目
外国人の「困った」から生まれたスリッパ
サボやサンダルと似ているその形状から、外国生まれと思いきや、意外にも日本生まれのスリッパ。これ、明治初期に起こったトラブルで生まれた商品だそう。
明治、西洋技術を学ぶべく政府が雇った「お雇い外国人」が続々日本にやってきました。当時西洋式ホテルは少なく、寺や旅籠が仮住まい。彼らは靴を脱ぐ習慣ないため、畳に土足で上がろうとするトラブルが続出。靴を脱ぐよう説得しても、逆に彼らは人前で靴を脱ぐことを恥ずかしく思うため、ほとほと困っていたそう。
そこで横濱居留地の外国人が、東京の仕立屋・徳野利三郎氏に靴の上から履くシューズを作るよう依頼。そうして1868年、畳表を重ねて和紙で補強した初代スリッパが誕生しました。
では、スリッパという名前はどうしてついたのでしょうか?
福沢諭吉が著書「西洋衣食住」で、西洋人が履く室内履きを上沓(スリップルス)と紹介しています。英語でslipperといえば室内履きを指し、ヒールや筒状のブーツなど形状は様々です。きっと西洋のslipperそのままに、スリッパと呼んだのでしょう。しかし日本独自のスリッパの形状は、どちらかというと英語でいうmuleに近いようです。
それに関連して、ビーチサンダルも日本生まれです。
1952年(昭和27年)にアメリカ人工業デザイナーのレイ・パスティン氏のデザインで、内外ゴムの技術者、生田庄太郎氏が製作したもの。連合国統治下、アメリカ人が日本人の履く草履を見て、同じような形状の履き物をゴムで作るよう注文したと言われています。
なぜそんな履き物が必要になったのかはわかりませんが、商品名が「ビーチウォーク」ということから、最初から水辺で使うというニーズがあったのでしょう。
草履は左右同じ形状をしてますが、ビーチサンダルは左右の足形に沿っています。同商品は昭和28年、アメリカへの輸出を開始し、ハワイで1カ月に10万足が売れました。
逆輸入品や意外な日本発祥の物、他にも探してみるとたくさんありそうです。
参考文献:福沢諭吉『西洋衣食住』
参考サイト:内外ゴム株式会社