頭髪を晒すのは無礼者!平安時代、冠や烏帽子を脱ぐのは下着姿になるよりも恥ずかしいことだった:3ページ目
清原元輔は落馬で冠を落とすも、和歌で笑いを取る
続いては、清少納言の父で、後撰集の撰者として知られる歌人・清原元輔のエピソードです。
清原元輔は、賀茂祭で奉幣使を務めていた際、落馬して冠を落とし、禿げ上がった頭を見た周囲の人々は笑ってしまいました。従者は慌てて冠を戻そうとしますが、当の元輔は冠を着用することもせず、周囲の公達に理由を事細かく説明してまわりました。
そのときの和歌が、
日のさしたるに頭きらきらとしていみじう見苦し
というもの。髻もない禿げ頭に日が差してピカピカ光って見苦しい、という内容で、この歌とともに落馬した理由、冠が落ちた理由をくどくどと説明しています。
このエピソードは「宇治拾遺物語」の巻第十三「元輔落馬の事」や、「今昔物語」にも載っています。冠が落ちて禿げ頭が晒され、自分よりもはるかに年若の公達に笑われても怒ったり恥ずかしがったりせず、周囲の笑いを取った、元輔の明るい性格がうかがえます。