頭髪を晒すのは無礼者!平安時代、冠や烏帽子を脱ぐのは下着姿になるよりも恥ずかしいことだった:2ページ目
他人の冠を落として左遷された!?
他人の冠を落としたために左遷されたと伝わる人物がいます。それは、平安中期の貴族であり、歌人としても知られる藤原実方です。
藤原実方はある日、藤原行成と口論になり、一条天皇の目の前で行成の冠を叩き落した。しかし行成は怒りもせず冷静に対応し、それに興ざめした実方は逃げてしまった、というエピソードです。この行成の態度にいたく感心した一条天皇は行成を蔵人頭にし、対する実方はこの行動から陸奥国へ左遷されてしまった、というオチ。
これは「十訓抄」や「古事談」に載っている話ですが、実際は異なります。行成の昇進は源俊賢の推挙によるものであり、実方の陸奥守赴任はむしろ昇進といえるもの。行成の日記「権記」の長徳元年9月27日の項にも、実方が正四位下に叙され、禄を賜ったことが記載されていますが、説話にあるようなもめごとは書かれていません。こういう出来事があったにせよ、ケンカに発展するようなことはなかったのでしょう。
しかし、このようなエピソードが後に書かれるということは、「冠を落とす」ことが普通は取り乱すほど恥ずかしいこと、という前提があってこそでしょう。