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弟、側近、子供までもが敵になり…。室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!最終章

弟、側近、子供までもが敵になり…。室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!最終章

弟、側近、子供までもが敵になり、南朝も交えた観応の擾乱が勃発!

足利直冬

ばさら大名と呼ばれて古いしきたりを嫌う師直は、皇室や寺社の権威を重んじる直義と方針を巡って対立し、支持者同士も激しく争いました。両者の間に立っていた尊氏は非情な裁きが出来ず、争いをやめさせようとします。しかし、側室との間に産まれた子で直義の養子でもある直冬(ただふゆ)が南朝と組んで実家のある北朝に背くなど、身内争いは南北朝の争いにも飛び火します。この争いは当時の北朝が用いた年号に由来し、観応の擾乱と呼ばれました。

対立は権力や領土を重んじる武士だけでなく、元から仲の悪かった貴族社会や皇室の身内争いを悪化させ、尊氏の願いとは真逆の現実が到来してしまったのです。直義と直冬の討伐のために南朝と一時的に和睦したことで尊氏が将軍を解任されたり、北朝の皇族が捕まるなど、長く続いた観応の擾乱は1351年に師直が暗殺され、1352年に直義が降伏して終焉を迎えます。

この直後に直義も世を去り、悲しい形ではありますが尊氏の敵は一掃されました。その後、再び北朝を興して直冬が味方する南朝と戦い、統一を目指した尊氏でしたが、1358年に矢傷が元で危篤に陥ります。そして、義詮に後を託して4月30日に54歳で亡くなりました。なお、彼の夢であった南北朝合一による天下平定は孫である3代将軍義満の代に実現します。

3ページ目 悪か正義か?尊氏と室町時代の真の姿は…

 

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