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そして戦友は散っていった…。室町時代を築いたレジェンド・足利尊氏の生涯に迫る!その5

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ついに幕府が開かれる…が、後醍醐天皇と義貞の抵抗は続く

それは、1336年の12月のことでした。降伏したはずの後醍醐天皇が京都から脱出し、義貞や北畠親房・顕家親子など反尊氏・上皇派の有力者を従え、『あの神器は偽物、本物を持つ私こそ正統な帝』として吉野(奈良県)に政権を樹立させてしまったのです。南の吉野と北の京都に二つの朝廷、二人の天皇が存在すると言う日本史上類を見ない時代、南北朝時代の到来でした。

1338年、朝廷によって征夷大将軍に任命された尊氏は、京との治安を安定させるとともに南朝との戦いを怠りなく進め、天下統一に向けて邁進しました。同年の5月に高師直が和泉(大阪府)で北畠顕家を倒し、7月には北陸の越前(福井県)を転戦していた長年の宿敵・新田義貞を討った事により、南朝は有力な武将を失います。

次項では、いよいよ南北朝時代を生き抜いた尊氏最後の戦いである観応の擾乱についてお話します。

画像:Wikipedia『新田義貞』『楠木正成』『吉野町』

 

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