天皇の衣手が露に濡れつつ?百人一首のトップバッター「天智天皇」の御製は他人の作品?:2ページ目
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元の歌は『万葉集』の「詠み人しらず」の歌!?
誰もが天智天皇の歌と信じているこの歌ですが、実は『万葉集』の「巻十」によく似た「詠み人しらず」の歌が採られています。
秋田刈る 仮庵を作り わが居れば 衣手寒く 露ぞ置きにける
歌の意味は前項の天智天皇の歌と大体同じですが、「衣手寒く」などの表現が使われ、歌全体の雰囲気がより素朴でリアルです。この歌が後世へ伝わるうちに、表現が次第に雅なものに変わっていき、作者も天智天皇とされたようです。
百人一首の撰者・藤原定家も、『後撰和歌集 巻6・秋歌中』から天智天皇の歌と信じ、トップバッターに起用したのでした。
親子の天皇の歌で始まり、親子の天皇の歌で終わる百人一首
この歌に続く第2番は、天智天皇の皇女で第42代天皇・持統天皇の歌です。そして最後を飾る第99番・100番の歌も、親子の天皇である後鳥羽院・順徳院の歌となっています。つまり百人一首は、親子の天皇の歌で始まり、親子の天皇の歌で終わるという対比構造になっているのです。
撰者の藤原定家は『小倉百人一首』に、天皇と貴族の全盛期だった天智・持統の両天皇の時代から、権力が武士に取って代わられていく後鳥羽・順徳両天皇の時代までの「歴史」も盛り込んだのでした。そこには貴族の家系である定家自身の、激動の時代への嘆きや無情感もあったのかもしれません。
参考文献:『百人一首物語』編著:福田清人/1989年10月 改訂1刷発行/偕成社
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