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自殺未遂で心を病んだ西郷隆盛が愛した流刑地の妻、愛加那 [前編]

自殺未遂で心を病んだ西郷隆盛が愛した流刑地の妻、愛加那 [前編]:2ページ目

短くも幸せな結婚生活

結婚後、西郷は愛加那を人前で膝に乗せたりするほど溺愛しました。そして彼女との間に1男1女をもうけます。

長男には本来なら「菊太郎」と付けるところを、やがて島を出て本妻とその子供を持つことを考慮し「菊次郎」と名付けました。また、女子の方は西郷が島を出る直前に身ごもった子供だったため、西郷が島を離れた後、彼が愛加那のために建てた家の中でひそやかに生まれました。つまり、2人目の子供は西郷に顔を見せることもできなかったのです。手紙で西郷に娘の名付けを乞うと、「菊」と付けるようにと返ってきたため、そこに「草」を付け足して「菊草(きくそう)」と名付けました。

この菊次郎と菊草は子供のうちに島を出て、鹿児島本土の西郷家が引き取る約束だったため、愛加那はお腹を痛めた我が子でありながら、「預かりもの」として育てる事となります。

西郷との再会

さて、西郷が島を去り、菊草が生まれてひと月ほどしたある日、愛加那は驚くべき事実を知ります。鹿児島本土に帰ったとばかり思っていた西郷が、なんと2度目の遠島で奄美大島にほど近い徳之島に流されたというのです。

西郷は奄美大島の役人に宛てて、「私が徳之島に流された事を知っても、愛加那が決して渡航して来ないようにしてください」と再三手紙に書きましたが、西郷を深く愛していた愛加那が、それを知って黙って従うわけもありません。愛加那は数えで2歳の菊次郎と、生後間もない菊草を連れて舟に乗り込み、大胆にも徳之島まで渡航しました。

3人が無事徳之島に到着し、西郷に再会(菊草は初対面)できたのも束の間、本土から更に離れた沖永良部島(おきのえらぶじま)への重ねての遠島が決まっていた西郷は、なんとその翌日に移送されてしまいます。愛加那らはたった1日の滞在のみで、仕方なく奄美大島に帰ったのでした。

3ページ目 沖永良部島での遠島生活を支えたもの

 

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