忖度なんて許さない!鎌倉時代の名裁判官・青砥藤綱は正義と弱者救済のために立ち上がる
今年の流行語大賞で“インスタ映え”と並んで入賞した言葉に“忖度”がありますが、これは元々『相手の気持ちを推しはかる』と言う意味です。が、誰かのご機嫌取りをする意味にもなってしまい、本来は良い意味なのに少し残念なことですね。
そうした問題は今に始まったことではなく、もちろん昔の日本にも存在していたのですが、それに敢然と立ち向かった人傑がいました。それが、本項で紹介する青砥藤綱(あおとふじつな)です。
えこひいきが大嫌い!遅咲きの賢人・藤綱
青砥藤綱は武蔵国(東京・埼玉・神奈川の一部)、ないしは上総国(千葉県中部)の出身で、一節には伊豆の武士・大場近郷の子孫と言われています。11歳で出家しますが、21歳の時に還俗して武士に戻った藤綱は、学問に精通した青年に成長しました。
彼が鎌倉幕府に仕官した時の逸話として、時の執権・北条時頼が鶴岡八幡宮のお告げで彼を採用したが、これを拒否したと言う物があります。藤綱いわく、功績が無いのに褒賞を受けるのは賊と同じだと言うのです。これは藤綱が28歳の時の話で、当時としては遅咲きと言うべき年齢ではありますが、年を経た人らしい重みのある言葉ですね。
実績のない人間が上司のお気に入りだと言うだけで出世するケースは今もあり、鎌倉時代も当然あったことでしょう。しかし、それに飛びつかずに実績をあげていこうとする藤綱の意志の強さは、その後に仕官してからも発揮されていくのです。
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