略奪品返却は諦める…本能寺の変後に豊臣秀吉が記した書状が個人宅で発見される!
先月9月に、明智光秀が本能寺の変で信長を討った動機特定の進展が期待できる発表がありましたが、
新史料発見!「本能寺の変」明智光秀の信長襲撃の目的は室町幕府再興か?
朝から歴史ファンをざわつかせるニュースが発表されました。京都の本能寺の変にて織田信長、そして織田信忠を家臣 明智光秀が襲撃した「本能寺の変」。なぜ明智光秀が信長を討ったのか、今日まで定説と呼べ…
豊臣秀吉が、本能寺の変後に京都で横行していた略奪品の返却に関して家臣に宛てた書状が新たに見つかりました。この書状は愛媛県の個人宅に保管されていたもの。文末には直筆で「筑前守 秀吉」との花押が確認できるとのこと。
この書状は、本能寺の変から約2ヶ月ほど経過したときに、京都を治めていた秀吉が家臣に宛てたもので、預物(略奪回避のために寺社に預けた財産)や略奪されたものについては、今後調査は一切行わず関知しない、という内容が記されています。
今回見つかった書状には「略奪されたものには、今後一切関知しない」と記され、秀吉が京都の治安を回復するために進めてきた略奪品の返却を途中で諦めていたことが明らかになりました。
NHKニュース
一方で、上様(織田信長)の所有物や、上様から賜ったものについては返還を命じており、秀吉の信長に対する思いがうかがえます。
本能寺の変後の「略奪」には秀吉もかなり頭を悩ませていたようで、なんでも明智勢の略奪があったうえに、持ち物の返還に関わっていた秀吉の家臣までもが略奪してしまう有様だったそう。
今回のように個人宅で歴史的な資料が発見されるケースは珍しくありませんが、資料の内容への興味と共に、どのような経路でその資料が個人宅に保管されることになったのかも、とっても興味が湧いてきます。