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芥川龍之介の名作「杜子春」実は古代中国の伝奇小説が元ネタ。そして結末が大きく異なる理由とは?

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愛情か約束か…芥川小説で大幅に変わった物語の結末

このように、舞台になった地名や時代は異なりますが『杜子春』の大筋は大差なく、不思議な老人を慕った若者が仙人修行をするが、肉親の情愛に心を動かされて失敗するストーリーに変わりありません。一方、『黄金の塊を掘る』『薄情な人界に辟易した』『両親が馬にされる』話は、原典にはない芥川版のオリジナルです。

最も異なるのは物語の結末で、原作では一門を繁栄させるほどの富を得たが、約束に背いたのを後悔し続けるバッドエンドです。一見すればドライではありますが、儒教に裏打ちされた信義、契約を重んじた価値観が存在した古代中国らしい教訓とも言えますね。

対して芥川版では馬にされた両親、特に母が拷問されても自分をかばったのを見た杜子春は『お母さん』と叫んでしまい、仙人になれなかったのを悔いるどころか喜びます。鉄冠子も満足し、人間らしく正直に生きたいと決意した杜子春を祝福して家と田畑を贈ります。つまり、人間として最も大事な愛情を優先した杜子春は、真の幸せを手にするハッピーエンドを迎えるのです。

こうした終わり方になった理由については様々な見解や解釈があり、掲載された雑誌『赤い鳥』が児童向けだったからとも、幼くして母を亡くした作者の子供時代が影響しているとも言われます。いずれにしても大正期の我が国で活躍した青年文豪によって、無味乾燥で固い漢文学が、人間とは何かを改めて考えさせてくれる名作に生まれ変わったことに変わりはないのです。

 

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