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そうだったの?江戸時代 大阪城よりも立派に…江戸城に使われた最新式の建築方法とは?

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江戸城完成後も攻めたてる徳川家

ひとまず江戸城が完成したところで、家康は駿河国安倍郡府中、現在の静岡県静岡市にも隠居用に駿府城を築き、さらに名古屋城も築きます。どちらの工事も、江戸城と同じく中井正清が手がけました。名古屋城の完成で、江戸幕府の大城郭は、伏見城・二条城・江戸城・名古屋城・駿府城の5つに!勢力を増す徳川家は、大坂城にいる豊臣秀頼にとっては脅威そのもの。大阪城を攻めたてる万全の体制を作った家康と秀忠は、大坂冬の陣を開戦、和議を経て、ついに1615年大阪城を落城!こうして豊臣家は滅びたのです。

「大阪城よりも立派なものを」という考えにこだわった徳川家。中井正清の力を借りて強大な城郭を次々と建設し、大阪城落城という目標を達成できたのです。それは、安土桃山時代の終わり=江戸時代の始まりでもありました。

Images:「江戸・東京デジタルミュージアム」古きをたずねて、新しきを知る。|東京都立図書館

 

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