岡っ引きには前科者も!?お江戸の治安維持は御番所におまかせ:2ページ目
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岡っ引きや下っ引には前科者も
さらに同心の手先として利用されたのが、数百人の岡っ引です。そして岡っ引の手下は、数百人の下っ引。どちらも元犯罪者で、手先として使えそうな者だけ選ばれます。犯罪を犯すものは、元犯罪者がよくわかるということですね。天保期(1803~1844)には、岡っ引に手当てがでるようになります。岡っ引の中には、立場を悪用して博打場を開帳したりする者もいたそうです。
奉公所は何度か移転して、文化3年(1806)には北町奉公所は呉服橋門、南町奉公所は数寄屋橋に落ち着いたようです。人の出入りが多い、江戸という大都市の治安を守るためには、町奉行・与力・与心・岡っ引・下っ引と様々な人の力が必要だったのですね。
参考文献:大江戸探検隊(2003)『大江戸暮らし』PHP研究所.
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