日本にパンを普及させ日本の食文化に影響を与えた、あんぱんの父「木村安兵衛」:2ページ目
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あんぱんの誕生
文明開化期に銀座が再開発される中、安兵衛は仮店舗にて日本人にパンを受け入れてもらえるにはどうしたらよいか思考を凝らしました。その中で安兵衛は、小豆餡をパン生地でくるみ、発酵に酒種酵母を使用した「あんぱん」を開発します。和の要素を取り入れた新しいパンは、安兵衛の妻ぶんのアイディアでパンの真ん中にくぼみを作り、塩漬けした桜の花びらをトッピングしたものでした。
旧徳川幕府に仕えていた重鎮山岡鉄舟との交流があった安兵衛は、鉄舟にあんぱんを試食してもらい高評価を得るに至ります。鉄舟からの助言で、このあんぱんを明治天皇に献上してみてはどうかと話が出ます。
1875年(明治8年)4月4日、向島の旧水戸藩下屋敷に明治天皇が訪問されたときに、鉄舟があんぱんを明治天皇に献上します。明治天皇はあんぱんを食べ終えた後「引き続き納めるように」と、ひとこと言い残したと伝えられています。またこの時鉄舟は、静岡に蟄居していた徳川慶喜にあんぱんを届けに自ら足を運んだそうです。慶喜も安兵衛が製作したあんぱんをたいそう気に入り、鉄舟に「木村安兵衛に伝えてほしい。世もいつか東京に出る日が再び来ることあれば、安兵衛に会ってみたいものだ」と伝えたそうです。
多くの人々に愛されたあんぱんを考案した安兵衛は、1889年(明治22年)に73歳で他界しました。
写真は台東区東浅草にある東禅寺に設置されている木村安兵衛と妻ぶんの銅像です。安兵衛ら木村家がいなければ現代の日本にパンを食文化とする風潮は無かったかもしれません。
木村屋總本舗ではあんぱんをはじめ、三代目木村儀四郎が考案したジャムパンなど多くの種類のパンが販売されております。当時の歴史を感じながら昔ながらの味を堪能されてはいかがでしょうか。
銀座木村屋總本店 公式サイト
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