[今さら聞けない幕末]どうして徳川慶喜は大政奉還をしたの?きっかけはあの幕末ヒーロー:2ページ目
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大政奉還派と武力倒幕派のタイムアタック
この時期は、土佐藩の「血を流さない大政奉還派」と、薩摩藩や長州藩の「武力倒幕したくてたまらん派」との一刻を争う大レースでした。
実は大政奉還が成立した数時間後に、薩長は天皇から「幕府を倒していいよ」というGOサイン=勅許をゲットしました。間一髪で、大政奉還派の大勝利!武力倒幕派が、「これで正々堂々と幕府ぶっ倒せる♪ひゃっほー」と幕府に銃を向けた時、大政奉還が成立したことでターゲットの幕府そのものがなくなってしまい、薩摩や長州はずいぶん悔しがったようです。
つまり大政奉還は、短期間でグローバル・ビジョンな企画書を書いて山内容堂を動かした龍馬と、大きな決断をスピード承認した慶喜が成し遂げた日本史の奇跡でした。
大政奉還、徳川慶喜の腹の中
なぜ、将軍慶喜はすんなりと政権を手放したのでしょう。実は慶喜はこう考えていました。
「今政権を返上しても朝廷には政治なんかできないし、すぐに徳川家に泣きついてくるだろう。政権を手放しても、徳川家は財産も土地も日本一。結局徳川家が最強だから別にいいか。」
この時は、新しい議会体制になっても徳川家が実質的に君臨できると思っていたから、あっさりと政権を手放したのでした。
歴史ではこのあと、そんな慶喜の読みを出し抜く事件が起こるのですが、それはまた別のお話・・・。
今さら聞けない幕末
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