昔から富士山を目指し続けた日本のロックフェス
外道のライブ映像をYOUTUBEで見てたら「FUJI ROCK FESTIVAL」という文字が出てきて、ちょっと驚きました。
いや、その前に「外道って何だ」という話なのかもしれません。いるんですよ、そういうバンドが。バックに鳥居を立て、暴走族に大人気で、ハードドライヴィングロックを叩き出す3人組が。その外道が、70年代に『FUJI ROCK FESTIVAL』なるものに出演してたのです。
http://www.youtube.com/watch?v=CQlprmn8dE4
動画のタイトルを見ると、この映像が撮影されたのは、75年。場所は、河口湖。トレーラーの荷台に書かれた「FUJI ROCK FESTIVAL」の手書き文字が、時代を感じさせます。
この『FUJI ROCK FESTIVAL』、もちろん現在のフジロックとは全くの別物です。現在のフジロックが始まったのはあくまで、台風による混乱が伝説化してる1997年の第1回から。経験した人の多くが「やっぱり死人は出てたと思う」と語る富士山麓の修羅場を反省し、第2回は都内、第3回以降は民家の少ない苗場で開催・継続されてるフジロック。会場が富士山から遠く離れても『フジ』の名を冠し続けるのは、やはり「日本のロックフェスの先駆にして代表」という自負があるからでしょうか。
「日本のロックフェス」という看板を背負う時、富士山を連想するのは昔の人も同じだったようで、実は60年代末にも『フジ』的なフェスの企画は存在していました。正確な名前は『富士オデッセイ』。
プロデューサーは、東京のプロの呼び屋などではなく、何故か京都の美大講師。アメリカの反戦弁護士にウッドストックみたいな巨大フェスの開催を持ちかけられ、この名前を思いついたんだそうです。京都にあっても、日本を背負うとなるとやはり富士、というところでしょうか。というか、『富士オデッセイ』は会場そのものが富士の裾野を予定してたんですが。
ローリングストーンズも来るとか来ないとか言われてたこの『富士オデッセイ』、結局どうなったかといえば、見事に企画がぶっつぶれました。ロックに対する理解が全然なかった時代に、薬方面でややこしい嗜癖を持つ客+出演者が世界中から集まってしまう。おまけにプロデューサーは、ズブの素人。完全に無茶です。
むしろ中止になって、良かったと考えるべきでしょう。もし無理矢理実現させていたら、それこそフジロック1回目を遥かに凌ぐ阿鼻叫喚の修羅場が発生していたかも知れません。日本におけるロックは、現在に至るまで文字通り「外道の音楽」として、歴史のタブーにまでなってたかも知れないのです。
FUJI ROCK FESTIVAL – 公式サイト
fuji odyssey 1 – ClubFame.subculture | 京都Rock Legend
外道 (バンド) – Wikipedia