【豊臣兄弟!】あさひ&夫・吉成はその後どうなった?用済みとされた数正…史実での切なすぎる結末:4ページ目
家康に輿入れしたあさひはその後どうなった?
何のとりえもないからただ笑っていた、今こそみんなの役に立ちたいと言い出したあさひですが、彼女がとりたてて無能だったという史料的な裏づけはありません。万が一そのような史料があればご教示願います。
むしろ天正14年(1586年)に家康へ輿入れする以前については、よくわかっていません。夫についても副田吉成でなく佐治日向守(さじ ひゅうがのかみ。元は農民だったが秀吉に取り立てられた)であったとする説もあるくらいです。
同年4月に大坂城を出発したあさひは京都の聚楽第に入り、5月になって京都を出発しました。
この時の花嫁行列は150余名の大人数であり、浅野長政(大地伸永)・富田知信(とみた とものぶ)・津田信重(つだ のぶしげ)・滝川益重(たきがわ ますしげ)・織田長益(おだ ながます。信長弟)・滝川雄利(たきがわ かつとし)らが随行します。
そして5月14日に浜松へ入って家康の正室となり、やがて家康が新たな本拠地として築いた駿府城(静岡県静岡市)に移って駿河御前と呼ばれました。
しかし家康と秀吉の和睦が進むと人質としての価値が失われていき、あさひは母なか(坂井真紀)の見舞いを名目に京都へ戻ります。
やがて駿府には戻らなくなり、天正18年(1590年)1月14日に京都の聚楽第で世を去りました。享年48歳。
あさひに関して、こちらの記事でも詳しく紹介しています。
【豊臣兄弟!】徳川家康(松下洸平)の妻になる豊臣 妹・あさひ(倉沢杏菜)との出会いと儚い結婚の結末
第41回放送「家康の野望」
あさひ(倉沢杏菜)の輿入れも功を奏さず、上洛しようとしない家康(松下洸平)。だが秀吉(池松壮亮)がなか(坂井真紀)まで人質に差し出したことで、ついに根負けする。とはいえ、それは形ばかりの上洛だと察した秀長(仲野太賀)は、謁見前夜に接待の場で家康に胸の内をさらけ出し、豊臣が真に手を取り合うべき相手か見極めてほしいと告げる。しかし家康は、この機に乗じて秀吉の懐刀である秀長を暗殺しようと企てていた。
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
妹あさひに続いて母なかをも人質に差し出した秀吉に根負けした家康が、ついに重い腰を上げて上洛するかと思えば、今度は秀長の暗殺を企てるとのこと。このしぶとさが古狸らしくていいですね。
果たして秀長は、この危機をどう乗り越えて家康を説得するのかできるのか、次回も心して見届けましょう。
「豊臣兄弟!」の話題は、以下の記事でもとりあげています。ぜひ合わせてご覧ください。





