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【豊臣兄弟!】あさひ&夫・吉成はその後どうなった?用済みとされた数正…史実での切なすぎる結末

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出奔した石川数正はその後どうなった?

永年支え続けた家康を見捨て、豊臣家臣となった石川数正(迫田孝也)。果たしてその後どうなったのかが気になるところです。

数正は秀吉から吉の字を賜わって石川吉輝(よしてる)と改名し、河内国に8万石の知行を与えられました。その後も信濃国松本10万石に加増されますが、あまり豊臣政権の中で重く用いられてはいません。

何せ「釣った魚にはエサをやらない」秀吉ですから、徳川家の機密情報を抜き取るだけ抜き取った後は、用済みとばかり疎遠にされたのでしょう。

ちなみに数正が去った後の徳川家では、筒抜けとなってしまった三河以来の兵法や軍制を甲州流(武田流)に改めて豊臣家へ対抗します。

劇中で家康が「痛くも痒くもない」と強がっていたほどではないにせよ、きちんと対処していました。

それでも(たとえその真意が解っていたにしても)、永年付き従ってくれた数正の出奔は、家康にとって心理的ダメージが大きかったのではないでしょうか。

数正の(史実での)出奔の理由に関して、下記記事で考察しています。

『豊臣兄弟!』なぜ石川数正(迫田孝也)は徳川家康を裏切ったのか? 史実とドラマ描写から見える出奔の理由

豊臣秀吉(池松壮亮)と徳川家康(松下洸平)・織田信雄(山脇辰哉)連合軍との間で、1584年(天正12年)3月から繰り広げられた小牧・長久手の戦い。同年11月、信雄が秀吉と単独講和を結ぶと、家康…

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