平安時代「母」の発音は「パパ」「ふぁふぁ」 だった? タイムスリップしても絶対に通じない日本語の謎:3ページ目
この謎に挑んだのが上田万年
こうした日本語の音の変化について、明治時代に本格的に考えた人物がいます。国語学者の上田万年(うえだかずとし)です。上田は1898年、「P音考」という論文を発表しました。名前の通り、「P」の音が、日本語の歴史を考えるうえで重要だと論じたものです。
現在の「ハ行」が、昔は「パ行」に近い音だった。一見すると大胆な説に思えます。しかし、上田は思いつきだけで「昔はパだった」と言ったわけではありません。古い日本語の資料を調べ、他の言葉との音の対応などを見ながら、日本語の音がどう変わってきたのかを考えたのです。
そして、この「古い日本語のハ行にはpの音があった」という考えは、その後の日本語音韻史の研究にもつながっていきます。
私たちが話している日本語も、昔は「外国語」のように聞こえた?考えてみると、ちょっと不思議です。平安時代の人も日本語を話していました。私たちも日本語を話しています。それなのに、千年近い時間を隔てると、音そのものがかなり変わってしまう。
もちろん、平安時代の人が話していた言葉を現代人が「まったく理解できなかった」と単純に言うことはできません。地域差や身分差、時代差もありますし、文章と会話でも事情は違います。
ただ、少なくとも「今の日本語をそのまま平安時代へ持っていけば通じる」と考えるのは無理があります。言葉は、少しずつ変わっていくからです。
昨日まで「は」だった音が、今日から突然「ぱ」になるわけではありません。何世代もかけて、ほんの少しずつ変わる。その小さな変化が積み重なって、何百年後には別の音になっているのです。
「母」という言葉は、私たちにとっては、あまりにも普通の言葉です。でも、その二音節を少しだけ歴史の中に置いてみると、ずいぶんと認識の仕方が変わります。
かつては「p」に近い音があり、その後、唇を使う摩擦音の時代を経て、やがて現在の「h」に近い音になった。途中には「はわ」と呼ばれていた時代もあった。そう考えると、言葉というのは、辞書に載っている形だけが「言葉」ではないのだと思います。
人が口にするたび、少しずつ変わっていく。その変化が積み重なったものが、今の日本語です。だから、私たちが「はは」と発音するとき、その音の奥には、ずっと昔の日本人が使っていた音も眠っています。
昔の日本へタイムスリップして、「こんにちは」と声をかけたらどうなるでしょう。ひょっとすると、こちらの言葉が通じないだけではなく、向こうの言葉も聞き取れないかもしれません。同じ日本語なのに、です。
そう考えると、日本語の歴史は、古い文章を読むだけのものではありません。私たちが毎日しゃべっている「音」そのものが、日本語の歴史なんだということに、改めて気づかされます。
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参考文献
- 上田万年「P音考」『帝国文学』4巻1号(1898)/『国語のため 第二』(1903 冨山房)再録
- 伊波普猷「P音考」『古琉球』(1907)
- 新村出「波行軽唇音沿革考」『国語国文の研究』(1928)/『新村出全集』第四巻所収
- 橋本進吉『国語音韻の研究』(1949・1980等 岩波書店)
- 小松英雄『日本語の世界7 日本語の音韻』(1981 中央公論社)
- 築島裕『平安時代語新論』(1969 東京大学出版会)
- 木田章義「p音続考」『奥村三雄教授退官記念国語学論集』(1989 桜楓社)
- 高山倫明「P音再考」『日本語の研究』7巻4号(2011)
- 久島茂「日本書紀のハ行子音」『國學院雑誌』83-7(1982)

