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【豊臣兄弟!】毒蛇も恐れて逃げ出す猛将!長宗我部元親の嫡男・信親と共に討死した福留儀重の生涯

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毒蛇も大蛇も恐れた?猛将ぶり

儀重もまた父に劣らぬ猛将で、官途名である隼人佐(はやとのすけ)から、福留隼人の名を領内外に轟かせました。

土佐の童謡に♪蛇もハミもそちよれ、隼人様のお通りじゃ♪という文句があり、これは毒蛇も大蛇も、隼人(儀重)の名を聞いただけで道を譲るほど恐れていたということでしょう。

天正13年(1585年)に羽柴秀長(小一郎)が四国征伐に乗り出すと、元親の家臣として参陣するも、元親が降伏したため鉾を収めます。

元親は土佐一国を安堵されたものの、羽柴家臣として合戦に動員され、天正14年(1586年)の九州征伐にも従軍しました。そして天正14年12月12日(1587年1月20日)、儀重は豊後戸次川の合戦で長宗我部信親らと共に討死してしまったのです。享年39歳。

仙石秀久らによる無謀な作戦を受け入れさせられ、死を覚悟しての最期だったと言います。またこの戦闘で弟の福留民部(36歳)も討死しました(他の弟たちは既に陣没しています)。

エピローグ

かくして戦場に散った福留儀重でしたが、その遺徳を慕う人々は田辺島城の跡地に隼人神社を創建し、父親の福留親政ともども御祭神としてお祀りしました。

武運長久のご利益はもちろん、禁酒や断酒のご利益もあると言われています。それは儀重が生前、元親が自ら発した禁酒令を破ったことを諫めるため、元親が隠していた酒樽を叩き割ったエピソードに由来するそうです。

武勇にすぐれるだけでなく、主君に忖度しない剛胆と忠義は、土佐人の鑑として今も人々に慕われていることでしょう。

3ページ目 福留儀重データ

 

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