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朝ドラ『風、薫る』迫る戦争の影…多江の決断と、歴史を変えた「篤志看護婦」たちの知られざる史実

朝ドラ『風、薫る』迫る戦争の影…多江の決断と、歴史を変えた「篤志看護婦」たちの知られざる史実:3ページ目

ユニフォームは「看護婦」の証明

ところで、現地で働く多江の看護婦のユニフォーム。は、明治時代から昭和にかけての日本画家・武内桂舟が描いた「看護婦」の絵にそっくりです。(下記参照)

特徴的なのは、大学病院での看護婦の制服や派出看護婦のときのコンパクトなキャップとは異なり、かなり高さのあるナースキャップでしょう。

明治25年頃に定められた日本赤十字社の看護服は、襞(ひだ)を取った高い帽子と、袖山の膨らんだ白いワンピースを基本とし、スカート丈や帽子の高さに多少の変化はあるが、昭和16(1941)年頃まで用いられた。(東京家政大学博物館 収蔵品データベース)

さらに、「赤十字看護師の制服」には以下のような話もあります。

救護員としての赤十字看護師の制服として制定されたのは、詰襟の長袖で、丈は足元に及ぶほど長い白衣であった。救護員制服は、日本赤十字社の救護員としての資格を備え、且つその資格を表明するために必要不可欠であったために制定したという記述がある。(日本赤十字社における看護服装の歴史 橋爪朋子)

確かに、多くの患者で混沌としている軍病院の中では、高さのある赤十字のマークが付いたキャップに全身白衣姿の看護婦は、すぐにその存在を見つけられると思います。

プロとしての威厳も漂っているので、怪我や病気で弱っている患者からは、心強く頼もしく見えるのではないでしょうか。

最後に…

第22週の予告では、洋装にエプロン姿で病院にて看護をする大山捨松の姿も見かけました。(前項でご紹介した「日本赤十字社篤志看護婦人会」の発起人名簿には大山捨松の名前があります。)

ひとときの平和だった時代が終わり、これから本格的に戦争が始まり、それぞれの身の上に変化が生じて混沌としていくのかと思うと、ちょっと不安に感じます。

けれども、第22週のテーマが『明るい未来』というところに、きっと救いがあるのかもしれません。

参考:
・同志社女子大学「篤志看護婦としての八重」
・福岡県病院協会「ほすぴたる」日本赤十字社における看護服装の歴史
・広島市 Web展示会「疫禍来襲!! 近代以降の伝染病と広島の歴史」
・日本赤十字社 日赤初のボランティア組織【篤志看護婦人会発起人名簿】
・東京家政大学博物館

 

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