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どちらを信じるべき?日本史料と中国史料…『日本書紀』と『隋書』の“食い違い”が教える古代史の真実

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記録の目的

そもそも『隋書』は、隋という王朝の歴史をまとめた中国の正史です。そこには倭国だけでなく、周辺諸国との外交や朝貢に関する情報も記録されています。

中国側から見れば、外国から使者が来たことは外交上の出来事です。だからこそ、倭国からの使者についても記録する理由があったのでしょう。

一方、『日本書紀』は日本の王権が編さんした歴史書です。日本側にとって重要だった出来事を中心に記録するという性格があり、外国側の記録とは目的が異なります。

つまり、両者にはそれぞれ記録する理由と記録しない理由があります。ここを無視して、片方だけを正しい史料と決めることはできません。

興味深いのは、日本書紀では600年の遣隋使の記録がない一方で、607年には小野妹子を隋へ派遣した記事が登場することです。遣隋使そのものを否定しているわけではありません。

比べて読む

ここで大切なのは、日本史料か中国史料かという二択にしないことです。両方を並べることで、それぞれの史料だけでは見えない部分が浮かび上がります。

また、史料同士が一致したからといって、それだけで事実が確定するわけではありません。記録者の立場や目的、伝聞の可能性まで考える必要があります。

600年の遣隋使の記録についても同じです。日本書紀にないから存在しなかったとも、『隋書』にあるからすべて正しいとも言えません。

さらに、文献だけで判断する必要もないのです。考古学の資料や東アジア各地の記録を重ねれば、倭国が隋と接触した背景を別の角度から検討できます。

実際、遣隋使の研究では『日本書紀』と『隋書』の比較が長く行われてきました。両史料の記述には違いがあり、その違いそのものが研究対象になっています。

結局のところ、歴史研究で問われるのはどちらを信じるかではありません。それぞれの記録が何を伝え、何を伝えていないのかを確かめることが重要なのです。重要なのは、その記録がいつ成立し、誰が、どのような目的で残したのかという点です。

600年の遣隋使は、そのことをよく示す例でしょう。古代史では、記録が一致している部分だけでなく、むしろ食い違っている部分にこそ、新しい事実へ近づく手がかりが残されているのです。

600年の遣使については、現在でも研究が続いています。『日本書紀』と『隋書』の記述には複数の相違点があり、遣隋使の回数や派遣時期についても研究者による検討が行われているのです。

参考資料:出口治明『10人の英傑が「この国」を変えた 大転換の日本史』2025年、PHP研究所
画像:Wikipedia,PhotoAC

 

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