手洗いをしっかりしよう!Japaaan

『豊臣兄弟!』本能寺の変、勃発!信長を失った豊臣兄弟はどう動く?次回へ続く「中国大返し」と山崎決戦を解説

『豊臣兄弟!』本能寺の変、勃発!信長を失った豊臣兄弟はどう動く?次回へ続く「中国大返し」と山崎決戦を解説:3ページ目

天王山を制したのは?

この戦さを制するためには、天王山を先に占領する必要があります。そこで光秀は松田政近に命じて、兵1,000を天王山へ差し向けました。

対する秀吉も堀尾吉晴(ほりお よしはる。茂助)に命じて兵200で天王山へ向かわせます。

茂助は一心不乱に天王山を駆け上がり、山頂の占領に成功しました。が、我に返って周囲を見ると、わずか30騎ほどしかついて来られていません。

やがて松田勢が山頂へ迫ってきました。このままでは天王山を奪われてしまうと焦った茂助は、死に物狂いで防戦に努めます。

圧倒的劣勢であるはずなのに、なかなか天王山は落とされません。実は天王山のふもとで、堀秀政(ほり ひでまさ。久太郎)が松田勢を急襲して足止めを食わせていたのです。

いっぽう遅れていた茂助の部下たちも続々と山頂へ到着し、見事に天王山を守り抜いたのでした。

光秀の戦線離脱

そのころ主戦場では、高山右近と明智勢の先鋒部隊が激突します。左翼から中川清秀、右翼からは池田恒興父子が回り込んで明智勢を包囲殲滅しました。

死闘の結果、明智勢は多くの将兵を喪っています。

【討死した者】

  • 松田政近
  • 伊勢貞興
  • 諏訪盛直
  • 御牧兼顕
  • 並河易家:討死説あり

【逃亡した者】

  • 斎藤利三:のち処刑
  • 阿閉貞征:のち処刑
  • 阿閉貞大:のち処刑
  • 柴田勝定:のち自害

【降伏または不明の者】

  • 池田景雄
  • 後藤高治
  • 多賀常則
  • 久徳宗重
  • 小川裕忠
  • 御牧景則
  • 津田重久

もはや戦さの趨勢は決していましたが、なおも突撃を下知する光秀に対して、比田帯刀(ひだ たてわき)が一時撤退を進言しました。

やむなく光秀は戦場を離脱し、開田太郎八(かいだ たろはち)や進士貞連(しんじ さだつら。作左衛門)らをともない勝竜寺城(京都府長岡京市)へと向かいます。

4ページ目 光秀らの最期

 

RELATED 関連する記事