『豊臣兄弟!』本能寺の変、勃発!信長を失った豊臣兄弟はどう動く?次回へ続く「中国大返し」と山崎決戦を解説:2ページ目
一番手は高山右近に
ともあれ羽柴陣中の軍議では、諸将が先鋒を競いました。
池田元助が我こそはと名乗りを上げますが、高山右近(市川知宏)や中川清秀(すがおゆうじ)がこれに反対します。
丹羽長秀は「上様はこういう時に序列を重んじられたと思うが、羽柴殿はいかが思われる」と秀吉に意見を求めました。
秀吉も「その通りである」と答え、以下の通りに定めます。
- 一番手 高山右近 2,000
- 二番手 中川清秀 2,500
- 三番手 池田恒興・元助 5,000
- 四番手 丹羽長秀 3,000
- 五番手 織田信孝 4,000
- 六番手 羽柴秀吉 20,000
こうして見ると、秀吉の兵力がケタ違いですね。6月12日に京都山崎へ入り、明智方に決戦を求める使者を発しました。
光秀は決戦を受けて立ち、翌6月13日に両軍は山崎の決戦へと臨んだのです。
決戦に臨んだ明智軍の顔ぶれ
羽柴軍の挑戦に応じた明智軍の顔ぶれは、このようになっていました。
- 先鋒 2,300
松田政近(まさちか。太郎左衛門)
並河易家(なびか やすいえ。掃部)
※鉄砲隊と丹波国侍 - 次鋒 2,000
斎藤利三(としみつ。内藤剛志)
柴田勝定(かつさだ。源左衛門)
※精鋭部隊 - 中堅 3,000
阿閉貞征(あつじ さだゆき。淡路守)
阿閉貞大(さだひろ。孫五郎)
池田景雄(かげかつ。伊予守)
後藤高治(たかはる。喜三郎)
多賀常則(つねのり。新左衛門)
久徳宗重(きゅうとく むねしげ。六左衛門)
小川裕忠(すけただ。土佐守)
※寄せ集めの近江国侍 - 左翼 2,000
津田重久(しげひさ。与三郎) - 右翼 2,000
伊勢貞興(さだおき。与三郎)
諏訪盛直(もりなお。飛騨守)
御牧兼顕(みまき かねあき。三左衛門) - 本隊 5,000
明智光秀
総勢16,300。秀吉の20,000だけでも数に劣っていますが、それでも光秀は2倍以上の大軍に挑みかかりました。

