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『豊臣兄弟!』本能寺の変は信長の“裏切り”が原因?長宗我部元親との約束破り「四国説」とは

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約束を踏みにじる信長に「もはやこれまで」

「豊臣兄弟!」で描かれていたように、信長と元親の仲を取り次いでいた明智光秀は、信長の手のひら返しや要求を伝えなければならない役を負わされます。

さらに、当然ながら元親には難色を示され、かなりストレスを抱える状況だったでしょう。

444年も前の出来事なのに、まるで現代のことのようです。言うことがコロコロ変わる理不尽な上司の裏切りを、取引先に伝えなければならない気苦労や怒りは、今でも全く変わっていません。それだけに光秀が謀反を起こす気持ちは500%理解できます。

実際、光秀が信長の命令「領土は土佐一国」を伝えてからは、元親から返事ももらえなくなったとか。

光秀は元親にこの条件で納得するように説得している真っ最中、信長は三男・織田信孝を総大将にして元親征伐のための四国出兵命令を下しました。

取次役の立場を全く無視された光秀。部下のメンツも立場も今までの苦労も全て潰す……これ、絶対に上司がやってはいけないこと。

元親を説き伏せられないことでどれほどの処分をくだされるか恐怖に震えるとともに、今までの忍耐も「もはやこれまで」と思ったのではないでしょうか。光秀の気持ちが1000%理解できます。

とうとう光秀は、明智家の存続もかけて、織田信孝が挙兵する予定だったという天正10年(1582)6月3日の前日、「本能寺の変」を決行することになったそうです。

元親と光秀の仲を取り持った、光秀の家老で絶大な信頼を置かれていた斎藤利三も立場を失った存在で、本能寺の変を後押しした存在ともいわれています。

結局、光秀の謀反により四国征伐から逃れることができた長宗我部元親ですが、信長没後は豊臣秀吉が脅威となっていきます。

5ページ目 信長は「讒言者の言うことを間に受け従った」説が

 

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