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2027年大河『逆賊の幕臣』で北村一輝が演じる“マムシの耀蔵”とは?遠山の金さんも追いやった妖怪の生涯

2027年大河『逆賊の幕臣』で北村一輝が演じる“マムシの耀蔵”とは?遠山の金さんも追いやった妖怪の生涯:3ページ目

水野忠邦を裏切り、仲間たちに裏切られる

かくして官民を締めつけ続けた鳥居耀蔵ですが、天保14年(1843年)に水野忠邦が上知令(あげちれい。幕府による所領召し上げ)を計画すると、態度を一変させました。

諸大名や旗本らが反発する中、形勢不利と見た鳥居耀蔵は、何と水野忠邦を見捨てて反対派に寝返ったのです。

おまけに水野忠邦が持っていた機密文書を、政敵であった老中の土井利位(どい としつら)に渡し、水野忠邦は老中辞任に追い込まれました。

水野失脚の功労者として、鳥居耀蔵は新政権でも身分を安堵されます。しかしそれも永くは続きません。

弘化元年(1844年)に土井利位が将軍の不興を買ってしまい、難局を乗り切るために水野忠邦が幕政に復帰したのです。

後ろ盾であった土井利位は報復を恐れて老中を辞任し、三羽ガラスの渋川・後藤に裏切られた鳥居耀蔵は、完全に孤立してしまいました。

水野忠邦は裏切り者の鳥居耀蔵を赦すことなく、弘化2年(1845年)に全財産没収の上、讃岐丸亀藩に身柄を預けられます。人々はこれを嘲笑い、こんな狂句を詠みました。

金毘羅へ いやな鳥居を 奉納し

【句意】讃岐の金刀比羅宮(こんぴらさん。香川県琴平町)へ、嫌な鳥居(耀蔵)を奉納したものだ。

かくして江戸を追われた鳥居耀蔵は、20年以上も軟禁状態に置かれることとなったのです。

人々から慕われた丸亀時代

これまで散々嫌われ続けた鳥居耀蔵ですから、丸亀藩ではここぞとばかりに苛め抜かれました。

嫌がらせや無視などが続き、例えば嘉永5年(1852年)には一年間誰も口を利いてくれなかったことが、鳥居耀蔵の日記に残っています。

あまりにヒマ過ぎた鳥居耀蔵は、趣味と実益を兼ねて庭先で薬草を栽培し、領民たちを治療してあげました。また学識は豊富だったため、丸亀藩士らに伝えたことから、次第に人々から感謝されるようになったそうです。

かつてはマムシだの妖怪だのと呼ばれた幕閣時代とは打って変わって、丸亀時代の鳥居耀蔵は人々から慕われていたと言います。

しかし三つ子の魂なんとやら。頑迷固陋な性格が変わった訳ではなく、明治元年(1868年)10月に恩赦が出た時、鳥居耀蔵はこれを受け入れませんでした。

「わしが幽閉されたのは将軍家の命令であるからして、上様が赦免して下さらない限り、ここから出て行くことはしない」とか何とか。

これには明治政府も丸亀藩も頭を抱え、何とかして追い出し……もとい赦免を認めさせたようです。

4ページ目 東京の堕落ぶりを怒り嘆く

 

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