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なぜ江戸時代の屋台には車輪がなかったのか?蕎麦・寿司・天ぷらも“担いで売った”商人たちの意外な事情

なぜ江戸時代の屋台には車輪がなかったのか?蕎麦・寿司・天ぷらも“担いで売った”商人たちの意外な事情:2ページ目

車輪が民間に普及した明治時代

やがて明治時代に入ると、鉄の車軸と鉄の箍(たが)をはめた車輪が登場しました。これらは強度が高く、車両の小型化や軽量化を実現したのです。

すると道路や橋にかかる負担が軽減され、また行政当局も車両にかかる税金を軽くしたことから、馬車や人力車などが普及していきました。

納税者が増えれば一人あたりの税負担は軽くすむので、より税を軽くでき、車両を活用する税負担者が増えるという好循環が生まれます。

一般庶民も物資の運搬に荷車(箱車、手車)が利用するようになり、日常生活が便利になったことでしょう。

ここで人力車をひく車夫たちの体力を支えるため、屋台が活躍するのでした。

車夫が一人でお客を乗せて、坂を上り下りするのは大変です(※馬車の馬だって大変でしょうが、本題からそれるので今回は割愛します)。

坂の手前には「立ちん坊」と呼ばれる助手がたむろしており、人力車を押したりひいたりしながら手間賃を稼いでいました。

そんな車夫や立ちん坊ら交通労働者の栄養補給を担ったのが、屋台の存在です。

ちょうど疲れた頃合いや場所を狙って出店し、彼らに各種のスタミナ食を提供していました。

3ページ目 明治時代の屋台あれこれ

 

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