『豊臣兄弟!』荒木村重(トータス松本)が見殺しにして、妻・だし(山谷花純)と竹中半兵衛(菅田将暉)が助けた二人の幼子の運命:3ページ目
黒田長政と竹中重門の名前が並ぶ碑
岐阜県の関ヶ原にある標高164mの丘陵地・岡山に竹中重門は、黒田長政とともに陣を取り戦機を見て狼煙を上げました。
南宮山・松尾山・笹尾山・中山道・北国街道・伊勢街道……などが一望でき、戦況が把握しやすく関ケ原の合戦の「開戦の狼煙」を上げるには好適地だったのです。
現在も山頂からは、関ケ原の町一帯を一望することができます。
ここには『岡山(丸山)烽火場/黒田長政・竹中重門陣跡』があり、石碑には、「丸山狼烟場」の文字の下に黒田長政と竹中重門の名前が並んで刻まれています。
長政は、半兵衛の孫で竹中重門の子・竹中主膳重次をもらいうけて養育し、自分の重臣として育て上げたそうです。
あの時、残り少ない寿命を賭けて救った幼い命が、孫の代まで紡がれて行ったと知ったら……天国の半兵衛の顔も綻んだでしょうか。
夫の裏切りのせいで殺される我が子を守った妻
そして、荒木村重の謀反のせいで殺されるところだった幼子を、自分の命は顧みずに助けたのが、ほかならぬ村重の妻・だしでした。(20歳以上の年齢差があったので側室とも)
反旗を翻し説得に応じず籠城するも兵糧攻めで疲弊。「もはやこれまで。皆のために投降してくれ」という段階になった途端、いきなり城から逃げた夫。
これに関しては、「兵糧補給路を確保するため」「毛利氏に直接援軍を要請するため」など諸説ありますが、どれも確かな史料はなく真相は謎のままです。
いずれにせよ、村重が“城を脱出”し有岡城は落城。
その後、信長は「尼崎城と西方の花隈城の明け渡すならば、家族や家臣の命は助ける」と持ちかけるのですが、それも村重は拒否。その態度に困った使者・池田知正は遁走する始末。
村重や知正の態度に激怒した信長は、荒木一族、家臣らの家族全員を処刑することにしました。

