『豊臣兄弟!』別所長治を破滅へ導いた男?毛利派の叔父・別所賀相と“豪勇すぎる妻”波の最期:3ページ目
太刀を振るって戦った豪勇の士だった
ここからは賀相の妻・別所波(なみ)についてご紹介します。
波は畠山在氏(ありうじ)か尚誠(なおまさ)の娘といわれており、名門一族の出であることがわかります。
女性ながら武勇に優れ、天正6年(1578)に別所軍が仕掛けた夜襲の際には2尺7寸(約82㎝)の太刀を手に騎馬で突撃。7、8人を討ち取る豪胆な戦いぶりを見せました。
この長さの太刀は身長185㎝以上に適したサイズであるので、当時からすると波はかなりの長身だったのではないかと考えられます。
また、天正8年(1580)1月に賀相が守る新城の防衛戦では、櫓の上から弓矢で敵兵20人以上を射殺します。その後は騎馬で突撃し、篠原源八郎を撃退した上に6尺(約180㎝)ほどの大柄な男を討ち取ってみせました。
しかし、劣勢は覆ることはなく、一族自害となった際には自らの手で3人の子を殺害した後に自害しました。
享年は28歳と言われ、下記の辞世の句を残しています。
のちの世の道も迷はじ思ひ子を連れて出でぬる行く末の空
意味:あの世へ行く道はきっと迷わないでしょう。愛する子どもたちを連れて行く来世は、きっと明るいのですから。
敵の前では鬼のように豪勇でありながら、子たちには仏のような優しさを波は見せていたことでしょう。賀相も母は強しを体現した波を妻にもてて、きっと心強さを覚えたに違いありませんね。
参考