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老中も逆らえない“女の園”大奥の「無言の圧力」…江戸時代、幕府を揺るがした女たちの政治力と巨額出費

老中も逆らえない“女の園”大奥の「無言の圧力」…江戸時代、幕府を揺るがした女たちの政治力と巨額出費:2ページ目

 
2026/06/17

大奥の力学

将軍の、上述のような無駄ばかりの生活に、大奥はどのように関わっていたのでしょうか。

まず、将軍の正室は二十七歳になると夫婦生活を終え、以後は、将軍の世話役である二十名の御中臈(おちゅうろう)が夜の相手を務めました。

彼女たちは老女の支配下にありました。将軍は女性の名前を覚えられず、昼間に衣服の柄を確認して老女に尋ねることで相手を決めたといいます。

時には御中臈以外の奥女中が選ばれることもあり、その場合はお中臈の一人が地位を失いました。

新しい女性が加わることで関係者は増え、先ほど挙げた徳川家斉などは四十名以上と関係し、二十七名から五十名の子が生まれましたとされています。

ほとんど工場の大量生産のような状況でしたが、これは単なる好色ではなく、将軍の血筋と大名との姻戚関係を広げて反抗を防ぐ政治的意図がありました。

こうした婚姻政策は幕府の安定を図るものでしたが、同時に莫大な費用を必要とします。

さらに受胎順を記録するために寝所を監視する制度まで存在し、将軍の生活は無意味・無駄ばかりだった一方で、大奥の生活・制度は変なところで厳格だったのです。これでは費用がかさむのも当然です。

大奥には多い時で約二千人の女性が住み、その生活費は膨大でした。水野忠邦の改革が失敗したのは、化粧品を制限された大奥の反発が最も大きな原因だったといわれているほどです。

女性たちは直接政治に関わらないものの、生活のための要求や不満が老中の政策に影響を与えるほどの力を持っていたのです。

3ページ目 歴史と無言の圧力

 

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